Vol.124 全てはタイミングの積み重ね  ~データベースソフトとともに~ 桂花(くいほあ)

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たぶん、一番古い「パソコン」との出会いは「ロータス1-2-3」と「松」、そして「桐」。MS-DOSというシングルタスクのOS上で動くソフト達だ。
まだ自ら積極的にパソコンに関わろうとしていた訳ではなく、ちょっと人より速くタイピングが出来るというくらいで「仕事をいかに速く、きれいにミスなく終わらせるか」くらいしか興味がなかった頃、
職場環境は素晴らしく劣悪で、JISキーボードUSキーボードの入り乱れた、Windows3.1・Mac・MS-DOS三つ巴で10台をほど有り、おまけに誰にもメンテされていなかった。それ故、それぞれに利用用途が決められているという、半ば専用機のような不思議なシステムになっていた。
特に面白かったのが表計算は「ロータス1-2-3」、宛名を打ち出すようなデータベースや論文集データ収集などには「桐」、ロータスと桐の中間として「エクセル」が専用機とともに存在していた。
私以外に桐を使う者がなかったので、「データベースといえばExcelでしょっ、僕の仕事はMacでやってね、嫌いなんだあっちのマシン…」と言う依頼者の、Excelの誤用とMac教信者故の毛嫌いの結果、図らずしてMacを触れる機会を得たのだった。
当時使っていたExcelは「Quadra950」の筐体にpowerPCを換装させたものに入っていたのだが、私にとって「LC II」とともに貴重なサッドマックを何度も拝まされた最初のMacintoshとなった。
出発点がMS-DOSで前述のようなどっちつかずだった私に決定的な転機が訪れたのは96年だった。一般人の目には狂気的に写った「Windows95発売」現象の中、うちにも「95」がやってきた。しかし当時の導入マシンにはCD-ROMがなかったため、インストールはフロッピーディスク50枚。そんなマシンが適切に動くわけあるはずもなく、結果は想像通り。私がWindowsに見切りをつけることができたのは、後々考えてもこれが功を奏したのではないかと思っている。

その後、Macと積極的に関わっていった要因の一つに、「Excel=データベース」に違和感を感じていた頃出会った、ファイルメーカーというデータベースソフトの存在は非常に大きかった。 ※当時ファイルメーカーはMac版しかなかった
最初は、サンプルのファイルを分解して自分なりに理解できるとっかかりの良さだった。 まだ市販本も少なく、唯一の手がかりは会社がパッケージに付属させた「ユーザーズマニュアル」だけだったが、この出来が良かったお陰で投げ出さなずに済んだのかもしれない。
桐のインターフェイスを「白黒ワープロの様」と表するなら、 このソフトはカラフルな絵を描くような感覚だった。
住所録、行事の出欠表、年次計算、物品の発注など特殊伝票の印字・納品管理など見よう見真似ですぐに活用。 業務は次々ファイルメーカー化されていき、その空いた時間でまた開発されていった。白いキャンパスに絵を描いていくような自由さと、「設計している」という緻密さの両方を兼ね備え、「構造・機能・デザイン・リフォーム」この4点を折り合いよく住まわせていく様は家を建てるような面白さがあった。Macとの相乗効果で「可能性」を感じた時、桐から卒業を決断。同時にMS-DOSからも卒業した。
代わりに、当時使っていた「LC II」や「Quadra950(改)」の処理速度にいらだちを募らせることになり、
既に「Performa6410」のオーナーとなったのに、仕事用に「PowerBook1400c/133」を自前で買い増し、職場と自宅を担いで毎日往復した。1400はPowerBookで初めてCD-ROMを搭載したモデルで、拡張ベイ仕様である為、標準装備のFDDベイと交換ができた。なおかつMOのベイを追加できるというのが購入の決め手で、VST製のそれがほとんど装着されていた。カバー部に自らデザインしたシートを挟み込んで「カスタマイズ」するモデルもこれ限りだった。
これが分岐点となったからか、「 PowerBook1400c」は未だ私の中でPowerBookの原型という思い出深いマシンとなり、同時にPowerBookがメイン、デスクトップはサブ機、おまけにキーボードは全てUSという歪な習慣が身についてしまった原因ともなった。

時を同じく、なんとなく職場のシスアドをするようになってから「困ったらあいつの所に行け」とばかりに、大学内外からだんだんいろんな人やものが集まるようになっていった。
漢字Talk7.1.1以降、新製品が出ると誰かが買ってセットアップの依頼に持ってくる。あるいはマシン購入の相談、買ってきてセットアップ、 迷っている人には積極的にMacを薦めた。薦めた手前面倒を見る羽目になり、 不具合マシンの検証、アップルへ修理依頼の電話その一括窓口も引き受けた。プリンタの電源が入ってないだけなのに「壊れた、動かない」と呼び出されることもあったが、世の中そんなに悪いことばかりものなく、友人だった某局プロデューサーを通じてテレビ出演するようなアーティストのマシンを治す機会や、「交通費出すから来てほしい」とメンテナンスの為だけに土日上京したこともあった。ファイルメーカーのお陰で空いた時間の多くは、結局Macの為に使われた。
これってAppleの陰謀にハマってるの?(笑)
OSXという新しい時代が来るまでのほんのちょっとの間、Macが少々難解だったお陰である意味自尊心を保て、Macとユーザグループを初めとするその仲間たちとの関係も、より広く深く良好なものになっていった。
有り難いことにその縁で未だ仕事を頂くこともあり、私の人生は図らずもMacを軸に様々展開し、実はこんな未来、全く想定外だった。

さて、これからだ…。
今や新機種が出ればNHKのトップニュースを飾るまでにAppleの認知度は上昇した。
が、反面の寂しさもある。高性能になりつつ、考えられないほどの低価格。それに伴い、PCユーザーのマナーやモラルも地に落ちた感は否めない。
2009年6月 WWDCの新しい価格発表では前のMacBookAirより、一気に10万円近くも値下がり。仕方ないこととは言えPCとのつきあいが古い者にとっては、昨今の技術革新と価格変動は時にショックだったりする。
だが、「組織は常に新しい血を入れ、新陳代謝をしなければならない」とはよく聞く言葉。新しいアイディアで新しいユーザーを受け入れ成長しつづけるAppleはその言葉通りだ。
我々古株ユーザーグループもこの低迷期を乗り切るためには、あっと驚く方向転換が必要なのかもしれない。

「あーぁ~、こんなにスゴいものがこんな値段で…」と感動(落胆?)させられ、またそれらを数奇なタイミングでAppleに導かれた新たな仲間と末永く分かち合いたいものだと望んで止まない。

ありがとう、大いなる勘違い。全てはそこから始まった。  人生って案外そんなものかも。

桂花(くいほあ)

ということで、今回は名古屋MacUserGroup「にんじんクラブ」副会長の桂花さんに依頼しました。今は、気が向いたらお仕事するという優雅な状態だそうですが、ヨーロッパに行く妄想が早く現実になればいいですね。最後にお会いしたのは、もしかしたら、AUGM大分でしょうか?また、どこかでお会いしたいですね。

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