Vol.102 MacWorld Expo/Tokyoの思い出 竹尾 哲也

MacWorld Expo

私が最初にMacに触れたのは1986年頃、当時テキスト表示を専用のハードウェアで行うのが主流であった時代に、テキストとグラフィックを同一に扱う事ができ、重ね合わせる事が可能な複数のウィンドウを持っていただけではなく、他のPCがスペックを重視していたのに対し、ユーザにとっての使い易さを最優先した設計は、何よりも衝撃的だった。自分が購入する「パーソナルな」コンピュータがあるとしたら、これしか無いと思い、当時主流だった国産機メーカの16bitマシンを購入する事は遂になかった。
1988年の12月に最初のMacを購入した。前年、KanjiTalk 2.0が発表され、Macでの日本語処理の問題が解決されていた。また、KanjiTalkと同時にバンドルされていたHyperCardと言う、誰でも簡単なアニメーションやカード型データベースを作る事のできるオーサリングソフトも大きな魅力だった。

私はカラー表示の可能なMacintosh IIを購入する程の資力がなかったためにMacintosh SEを選択した。この機種にはフロッピーディスクドライブが二台付いている為、容量の大きなアプリケーションを動作させる際の悪夢の様なディスク交換の回数が少なく、何よりも拡張スロットを持っていた為、後にディスプレイを拡張できる可能性があった。このMacを使ってHyperCardのスタックを収集したり、あるいは自分でスクリプトを書いたりして楽しんだ。また、Light Speed PASCAL等の開発環境にも手を出したが、資料が全て英文で、かつ失敗する毎にシステムリセットに至ってしまう、厳しい道であった。

1992年、私の勤めていた会社にMacintoshを世に送り出したSteve Jobsの立ち上げたNeXT社によるNeXT Cubeが導入された。Macの使い易さに加えて、アプリケーションエラーが発生してもシステムは無事な安定性、複数のコマンドの組合せで目的を達成する柔軟性と言ったUnixの持つ特徴を合わせ持ち、更にはInterfaceBuilder等のツールに代表される、NeXTstepと呼ばれる充実したオブジェクト開発環境を持ったNeXTは、私にとって最初にMacに触れた時以来の衝撃であった。

仕事で使う為の情報を収集する為、私は日本NeXTユーザ会(NeXus)に参加した。NeXTの製品ターゲットが当初、高等教育機関であった為か、このNeXusには後にインターネットの世界に身を投じるスーパープログラマ的な人々の他に医師、大学教授等が多数参加されていて、非常に学術的な雰囲気のするユーザグループ(UG)であった。彼らはNeXusNetと呼ばれるUUCPベースのネットワークを構築しており、ここでのメールのやり取りを通して私は急速にオブジェクト指向の開発技術を習得して行った。私は後に中古ながらもNeXT Cubeを購入した。

非常に素晴らしいNeXTではあったが、翌年には独自ハードウェアの生産を中止し、後のAppleによる買収劇までその状態はリンボーに置かれる事になった。

私が最初にMacWorld Expo/Tokyoを見に行ったのは、1993年頃だったと思う。当時、Macユーザが情報を交換する場所としては、パソコン通信やUGが主流であった。パソコン通信のSIGやフォーラムで、十分な情報は得られたが、実際に人と会って話のできるUGやオフラインミーティングには、また別な楽しみがあった。MacWorld Expoそのものは自動車ショー等と同じ単なる展示会であったのだが、ここで一つ異彩を放つ一角があった。それが、ユーザグループ自らがアピールするUGブースだった。ここで紹介されるのは技術ではなくて 、それを使う側の物の見方、考え方、言うならば「文化」の様な物だった。特に、分厚いカタログ、絞り染めのTシャツ等、西海岸の雰囲気をそのまま持って来ていたBMUG(Berkeley Macintosh User Group)は、学術的なNeXusとは全く異なる世界を垣間見せてくれたのだが、実はそれこそがNeXTのルーツであるUnixのエッセンスの一つであると言えた。私は毎年BMUGを訪れてはCD-ROMやTシャツを買い求める様になった。

1994年、私は西海岸で開催されたNeXTstep ExpoにNeXusの有志が組んだツアーで参加したのだが、ビジネス中心のコンベンションであったものの、そこにもやはりUGの姿があった。NUGI(NeXT User Group International)では、Tシャツや”Nugi Steve Jobs.”(スティーブ・ジョブズのこめかみに拳骨ぐりぐりせよ)と書かれたバッジが配布されていた。

1995年、NeXT社は世界で最初のWebアプリケーションサーバであるWebObjectsを発表して、いよいよビジネスの世界に躍り出た。ビジネスの世界ではWindowsへの対応が第一義とされた為、ハードウェアに続いて、OpenStepと呼ばれる独自OSの開発継続も危ぶまれる様になった。NeXTにパーソナルな価値を見出していたNeXusのユーザは櫛の歯が抜ける様に徐々にその数を減らして行き、彼らの多くは急速に普及するインターネット技術の方面に進んだ。この年はまた、Be社がBeOSの動作するBeBoxを発表していたが、パーソナルを志向したBeの存在が非常に輝いて見えた。

1996年、毎年の様に見に行くMacWorld Expoであったが、内心、何故か寂しい物を感じていた。まだ、Windows95による市場の侵食はそれ程ではなかったし、UGのエネルギーはAppleがUGの為に毎回より大きな出展スペースを確保する程、力強かったのだが、NeXusの一員としては、それはかえって疎外感を感じる物だった。しかし、その年の終わりに衝撃的なニュースが飛び込んで来た。AppleがNeXTを買収したのだ。それもSteve Jobs付きで。

1997年、NeXusがApple UGの一員として迎え入れられて以降、私にとってMacintosh UGは「彼ら」ではなくて「我ら」となった。NeXusのMacWorld Expoへの初のUGブース参加に、私はそれを記念してちょっとした悪戯を思いついた。AppleとNeXTのロゴをくっつけて、当時カルト的な人気を誇っていた某アニメ作品中に現れる組織のマークそっくりのロゴのTシャツを作ったのだ。ちょうどその頃、私の好きだったBMUGは、その余りに分厚いカタログ作成が負担となって運営が傾き掛け、UGブースでの展示も寂しい物になってしまい、もはやジョークセンス溢れる新作のTシャツが得られなくなってしまっていた。それと入れ替わる様にして私は毎年、Tシャツの制作にのめり込む事となった。

以後、どんな物を作成したか挙げてみると、

1997年 林檎補完計画
1998年 林檎革命Rhapsody
1999年 iAngel
2000年 林檎王Final Version
2001年 林檎の旅
2002年 PowerPC Girls

大体、その年に感銘を受けたアニメ作品をサンプリングしている。

やはり1997年の林檎補完計画が一番の人気だった。ちなみにMacintosh開発チームに激を飛ばした有名なJobsの言葉を”Don’t join the navy, be a pirate.”としているが、正しくは”It’s more fun to be a pirate than to join the navy.”であった。この年、日本で最後の開催となったソフトウェア開発者会議JDC(Japan Developer Conference)の会場で、尊敬するAppleのエンジニア達に、このTシャツを進呈した。

1998年はネタを理解できたのは、極めて少数に限られた。 この年、Mac OS Xが発表され、Rhapsodyは名前を消した。
1999年はiMacにちなんだテーマ。5色で作って、やはりボンダイブルーが最初になくなり、タンジェリンが最後まで残った。 この時のデータにはAppleのマーケティングの人間も強い関心を持っていた。
2000年はベタなネタであったが、クラブ遊びしてそうな子達に人気があったのが意外だった。このTシャツはAppleのソフトウェアVPのAvie Tevanianにも進呈されて、とても喜ばれた。
2001年はベタ過ぎで、しかも相変わらず文法の間違った英文が書かれていた。このTシャツを恐れ多くもJobs様に献上したが、彼の事だからきっと30秒でゴミ箱に直行したであろう。
2002年は、初めてのカラー仕様。子供に欲しいと言うニーズを読み切れず、子供用を作っていれば、もっと喜ばれたはず。

思えば、CD-ROMブーム、Newtonの発表、PowerPCへの移行、インターネットブーム、デジカメブーム、iMacのヒットと毎年多くの話題を提供していたMacWorld Expoではあったが、インターネットの普及に伴い、徐々にその役割を縮小し、2002年を以て、MacWorld Expo/Tokyoは廃止された。この後、UGのエネルギーは発表の場を求めてiWeek、AUGST、mac-iTokyo等に流れて行ったが、2003年以降はUGが参加する大きなイベントは開催されていない。代わりにこの年、Apple Retail Store GINZAが開店し、かつてMacWorld Expoが担っていた展示会としての機能は、ここに再現された。また、Apple Retail StoreはUGの発表の場にミニシアターを提供する等、AppleのUGに対する目線は今も変わってはいない。ハイソサエティなApple Retail Storeの雰囲気は大好きだ。しかし、それでも幕張メッセの広い会場を埋め尽くしていたあのエネルギーを思い出すと、何故か寂しい気分になる。

私はUGブースへの参加によって、様々なMacユーザの人々と交流する事ができた。UG全員が手弁当で協力してイベントを作り上げるのは、とてもエキサイティングだった。自分が見る側から参加する側に変わる事によって、自分にとってMacWorld Expoは単なる展示会から素晴らしい体験が得られる場所へと変貌したのだった。この素晴らしい体験を与えてくれたMacコミュニティに、果たして私は何をお返しする事ができたであろうか。今は、Mac OS X専門のソフトウェア開発者の一人として、微力ながらもMacコミュニティに素晴らしいプレゼントができる日を楽しみにしている。
竹尾 哲也
有限会社ガラパゴス・システムズ CTO
(http://www.galapagos-sys.com/)
Cocoa/WebObjectsを用いたMac OS X向け開発を専業としている。

Leave a comment

Your email address will not be published.


*