Vol.100 はじまりはMac Fan 0号 小林正明

MacFan

1993年2月のMacworld Expo/Tokyo──私は毎日コミュニケーションズの2コマブースで『Mac Fan』0号(創刊準備号)を配っていました。とにもかくにも「人が多すぎてまっすぐ歩くことさえ困難」である会場の雰囲気は、なんというか別世界に来てしまったような感覚で、当時の自分にとってMacは、近くにあるけど遠い存在、でしたね。入社1年目。たぶんこれがMacの世界に初めて触れた出来事です。
翌94年の3月に販売部から広告部へ異動。すでに書店営業に自分は向いていないと勝手に結論を下していただけに、出版事業部長(現代表取締役社長)には密かに感謝しておりました。ちょうどMac Fanが月刊から月2回刊化になるタイミング。この配属で私は出版業界のこと、広告のこと、そしてMacのことについて多くを学ばせていただきました。余談ですが、前期に上げた自分の成績がそのまま次期予算になってしまう営業論も、イヤと言うほど実感しました(もちろん、営業先も営業方法もすべて自由にさせていただいておりましたので、その意味では面白かったわけですけど)。

Mac Fanを含む各種パソコン媒体の広告営業を丸4年間担当した後、編集部へ配属。これは希望による異動です。それまで私の売り上げを底支えしてくれていたMac互換機メーカーが、鶴の一声で撤退せざるを得なくなってしまったことも大きな要因ですが(笑)、元来堪え性がないというか飽きっぽいところがあり、きっと楽しみを見いだせなくなっていたんでしょうね。常に何かに刺激されていないとダメな性格は今も同じですが、幸い今のところ編集という仕事には飽きがきていません。

さて、特集デビューは98年の8月1日号。編集部に来て4カ月足らずの人間にやらせていいのか!と散々ぶーたれながら1人連日徹夜でOfficeの特集をシコシコ作った覚えがあります。そうそう、いつかは忘れましたが『ASAHIパソコン』に喧嘩を売る特集もやりました。題して「Mac朝日の決戦!」。アサパソでやっていたMacとWinとの比較記事がアンフェアーなものだ、との読者投稿がなぜかうちの編集部に数多く寄せられ、いつの間にか本誌でこの記事を玉砕すべく特集を組もうということになり、気がつけば先鋒を命ぜられておりました。この時私が考えたことは「天下の朝日に喧嘩売って万一責任を負うこと(クビ)になっても、それはそれでいい経歴になるじゃん」。脳天気な人間です、ハイ。

──閑話休題。

所有したMacintoshは、Power Macintosh 8100 AVに始まり、初代PowerBook G3、初代iBookタンジェリン、Power Macintosh MT266、Macintosh Classic、初代PowerBook G4/500。UMAX Apus 2000もありました。それぞれに思い出はありますが、人に話すほどの愛着はありません。むしろ私にとっての愛着は日本のMac文化というか世界全体で、この世界にいなければ知り合えなかった人は数知れず。これまでの十数年を振り返れば、それら出会いのすべてはMacが媒体となっていると言ってもいいほど。これは今でもそうで、ユーザとして、商売として、Macに関わっていらっしゃる方々は、人間的にも魅力ある人が多いです。

ちなみに、ご存じだと思いますが、Mac Fanの「林檎かわいや」は2003年10月1日号で終了しております。Macの歴史の1ページを本誌で見ることはもうできませんが、こうして「林檎いとしや」がその精神を今なお引き継いでくれていることに感謝して止みません。

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小林正明
小林正明
Masaaki Kobayashi
1968年愛知県名古屋市生まれ

自称マイホームパパゆえ休みの日は一切の連絡手段を閉ざしている。最近の休日はもっぱら建て売り巡り。誰か川崎近辺でいい物件紹介してっ!

 

記念すべき100号を、MacFanの小林編集長にお願いしました。滝口編集長から引き継いでそろそろ1年ですが、頑張ってください。 一度ゆっくり飲みましょう。

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