Vol.61 「なんでもできた」 本沢 幸久

Macinsoth SE/30

初めてMacを買ってもうどれくらいたつんだろう。もう10年は越しているはず。正確には覚えていません。ただ強烈に覚えているのは初めて買った、SE/30です。

まだMacを購入できるお金が無い時に、Mac雑誌を読みふけっていました。「いつかオーナーになるぞ」という気持ちとともに。その頃は「MacPower」、「MACLIFE」、「MacJapan」、とか一時よりは少ないけど、いわば日本におけるMacの黎明期でした。

その頃、Macを買うために転職を決めました。この時点でもう深みにはまってしまっていたのですね(笑)。悪い話ですが、社内割引なら安く買えるだろうと考えたのです。秋葉原に何店も店をもつ某パソコンやゲームを取り扱っている店に入社して、社内割引で3年ローンで買ったのがSE/30でした。

8インチの白黒画面で、なんでもできました。さすがに空を飛んだりはしませんでしたが(笑)、やりたいと思った事はできました。その頃はまだインターネットは研究者の物だったし、雑誌や日経MIXで情報をかき集める時代でした。14万もするMIDIソフトウェア(Cubase for Macの一番はじめのヴァージョン)で曲を作ったり、EGWordで文章を書いたり、ゲームで遊んだりと。
初めて触ったアプリケーションは仕事で使ったファイルメーカーIIでした。その頃DOSで動いていたデータベースソフトから見たら、青天の霹靂でした。なんたってGUIは簡単にデザインできるし、フィールドを定義すればそれだけでデータベースができてしまう。今では当たり前の機能かもしれませんが、その頃はプログラマの友達に見せて驚かせるのが楽しかった。

そうそう、HyperCardも忘れちゃいけない。これを使いたい為にMacを購入した人も多かった。HyperTalkという今のAppleScriptの様に英語の文章を書く様にプログラムが組めたし、その頃はフリーウェアやシェアウェアという概念がなくて、みなそのたぐいのプログラムはPDS(パブリック・ドメイン・ソフトウェア)と呼ばれていて、たくさんの人が自分で作ったプログラムを公開していました。

その頃はまだ漢字Talk6.0.7で、今のPowerMacG4位の早さが体感でSE/30にはありました。ほんと軽いOSで、68030とコプロを搭載しているマシンとしては驚く程早かった。ところでで今の読者様は「漢字Talk」という名前をご存じですか?知らない方も結構多いのではないかと思います。今ではMac OSの文字も出ないですからね。

今では1万円で手に入るSE/30ですが、私は約10年早くSE/30を使う事ができたのはとても幸せな事だったと感じます。

(本沢 幸久)

 

なぜか、どこにでも現れる気がする本沢君です。 今回のいとしやは、忘年会の時にかれからの書かせろの一言で実現した。彼のいとしやです。 本沢君といえば、こだわりさんのお部屋でiBookのばらしオフをやったとき、なぜかiBookを持って大阪まできていたのを覚えています。 また、どこかで一緒に飲みましょう、、、ってたぶんiweekかな

(MacTreeProject)

本沢 幸久
ほんざわゆきひさ

川崎市在住。 「BRADE RUNNER」と「TRON」をこよ なく愛する小学生からの映画好き。 poplife、もしくはHypnotizeがハンドルネームだが、結局どこでも「本沢くん」で通っ ている。 日経MIX時代の「Meet The Mac」の最終回の幹事長をつとめる。現在はこだわりさん のお部屋UGに属する。 アニエスbとエンポリオアルマーニしか着ないバイリンガルでおちゃめな32歳の独 身男。メールはipoplife@mac.comまで。

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