Vol.038 Mac雑誌はほかのどのメディアよりも面白かった 松尾 公也

Macintosh Plus

私が最初に買ったコンピュータは,大学4年生のときに買った,MZ-80K2Eと呼ばれるものだ。シャープが当時出していたコンピュータのなかでは最も安価なもので,それでも148,000円だったと思う。このコンピュータのどこに魅かれたかというと,音楽ができるかもしれない,という点。私はすでにコルグのMS-10,MS-20というモノフォニックシンセサイザーを持っており,後にローランドの子会社であるアムデック(現在のローランド・ディー.ジー.)からリリースされたCMU-800というピアノ音源,ベース音源,ドラム音源内蔵シーケンサーとMZ-80K2Eをつなげて,1年後には学園祭で演奏したりしていたのだ。ヒューマン・リーグって覚えてます? DTMという言葉は当時,まだなかった。MIDIもまだ出ていなかった。

そして卒業後,某業界新聞社に入り,外信部と呼ばれる部署に配属された。まあ,ていのいい翻訳部門である。その当時,翻訳していたのが,「Apple IIIに不備発覚」「Appleが新製品を準備中」「Appleの新コンピュータは高価すぎて売れず」「Apple,Lisaの後継コンピュータを準備中」「そのコードネームはMcCintoshというらしい」といったたぐいのものだ。ほかにもいろいろあったのだが,いちばん覚えているのはそういうことだ。当時,Appleの動きがとても気になる存在だったのは確かだ。

次の会社でPC-9801を使い始めた。この会社には,野村総研からやってきたすご腕の研究員が上司でいたのだが,その人はバリバリのMacユーザーで,いかにMacがすばらしいデスクトップツールであるかを力説していた。「まあ,日本語はできないけど,その部分は切り張りで」プレゼン作成ツールとして使っていたというのだ。

さらにその次の会社にいたときに,PC-9801VX2を購入した。この会社はCG系の雑誌を出版しているところで,編集業務にバリバリ,PC-98を使うことになる。そこではASAHIパソコンの前身となるあるムック企画のためにPCの各種グラフィックソフトをレビューする機会があったが,そのなかにはなんと,Windows 1.0のベータ版が含まれていた。当然,使い物になるレベルではなかった。

あ,そうそう。このころ,ローランドから,ミュージ君というDTMシステムが登場する。PC-98用で,MIDIインタフェースとMT-32というMIDI音源が付属し,さらに,マウスオペレーションのシーケンサーソフトがついてきた。これで,いろいろと入力していたのだが,限界がきてしまった。マシンのメモリ不足で,長いMIDIシーケンスを作れないのだ。これが,MS-DOSマシンのできるリミットだった。「天国への階段」には足りないのだ。

さて,その会社に新人として入ってきたN君という若者がいたのだが,これが相当なMacフリークで,ねんがらねんじゅう,Macがどーした,ラクターがどーしたと言っている。Macユーザーというのはそういうものかという固定観念が芽生えそうになったのだが,あとでそれは修正することができた。おしゃべりなのは本人の資質だったようだ。

彼はほどなく,MACLIFEに編集者として入ることになる。そこで私は考えた。まあ,ああいうフリークが生まれるにはそれなりの背景があるのだろう。コンピュータ雑誌編集者としては,このテクノロジーを知っておくことがターニングポイントになるかもしれないと。ここでMacを知っておけば,今後10年くらいの糧になるとかなんとか妻と話して,購入したのが,当時,20万円台後半まで価格が下がってようやく入手可能になったMacintosh Plusである。そして,それはそのとおりになった。もちろん,その裏には,MIDIシーケンサーとして使いたいという欲望があったのだ。何よりも,Performerというソフトを使ってみたかった。

そのMacintosh Plusだが,実は長男の出産祝い金で購入したものだ。秋葉原のイケショップにて購入した。いっしょに買ったのはJasmineの20Mバイトハードディスク。そう。さっきのメモリの話だけど,Plusは4Mバイトもあったのだ。すごいじゃないか。おまけに,ハードディスクのなかにはオンラインソフトウェアがどっさり。無限の可能性を示していた。もちろん,このPlusにPerformerをインストールし,「天国への階段」を完成させることができた。そして,キャリイングケースにPlus一式を入れて友人の結婚式に運び,演奏させたのもいい思い出だ。

当時のMacの情報源といえば,高木さん編集長時代のMACLIFEと,大谷さんが深くかかわっていてとてもとんがっていたHyperLib,そして藤本さんが連載していたMacJapan。はっきりいって,そのころのMac雑誌はほかのどのメディアよりも面白かった。雑誌が面白かったのは,このMacintoshというテクノロジーがわくわくさせるものだったからにほかならない。

だからこそ,私も自分の雑誌を立ち上げたのだ。いまのMacWIREは3つ目で,最初の2つは休刊したけれども。

さて,Macintosh Plusはいま,会社の机の下に置かれているし (CRTの縦線化でやむなく電源はオフになったまま) ,SEは2台,SE/30も2台と,やはり,このコンパクトMacはいまでもわたしのお気に入りだ。さすがに現役ではないけれども,秋葉原の中古ショップを見ると,いまだに買おうかどうか迷ってしまうのだ。

いまではメインマシンは768MバイトのRAMと48Gバイトのハードディスクを積んだPowerBook G4/500がメインマシンとなっている。あと,PowerBook以上にいっしょにいる時間が長いのが,iPodである。そうそう。これはアップルの大宮哲夫本部長に言われて知ったのだが,いま,どこにいくにも連れていっている可愛いMP3プレイヤー,iPodのデザインは,初代Macintoshの再来という意味があるのだそうだ。確かに似ている。まあ,ある意味,Plusを持ち歩いているようなものだな。

もうすこしすれば,わたしのメインOSであるMac OS XですばらしいMIDIシーケンサーが登場してくるに違いない。それがDigital Performerであれ,Cubaseであれ,そのアップグレードを待つことにしよう。今年は絶対に,Macにとって音楽が鍵になると信じている。そう。私にとって,コンピュータは常に,音楽とともにあったのだ。そしてこれからも。

(松尾 公也)

 

現在のインターネットのマック情報の集積地、MACWIREに無い情報はほとんどないのではというぐらい、情報がつまっているところ。でも本人は、いたってマックが大好きなおじさん。MacUserからこっち歴史がかわってきても、形を変えても、松尾さんの情報は楽しみにしている自分たちがいますね。頑張って下さいね。僕たちもがんばって続けます。

(MacTreeProject)

松尾 公也

MacWIRE編集長。MacUser,Beginners’ Macという紙媒体をインターネット媒体のMacWIREに変換させる。もう紙の雑誌はやらない。

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