Vol.32 定価40万を切っている・・・ 直江 浩永
Macintosh LC575
68LC040/33MHz, 8MB RAM, 320MB HD,13inch CRT
今では仕事でもプライベートでもパソコンが手放せませんが、かっての僕は日夜バンド活動に明け暮れるロック馬鹿で、パソコンとはまったく縁がありませんでした。初めて触れたコンピュータ (?) はなんとファミコンで、友人が持っていた「ロードランナー」にハマったのがパソコンとの出会いでした。
「ブロック崩し」や「スペースインベーダー」の時代からアーケードゲームにハマっていた僕はファミコンにもドップリはまり、やがて物足りなさを感じるようになり、当時の8ビットパソコンブームにつれられて初めてのパソコン MZ-2500 を手に入れました。憧れの名作ゲーム「Wizardly」や初代の「A列車」で徹夜を重ねつつ、さらにはパソコン通信のホスト運営まで始めてしまいました。今にして思えば、いったいいつ寝てたんやろ…。当時のモデムの通信速度はなんと 300bps! 当時は時代の最先端を突き進んでいる気分でいましたが、今にして思えばのんびりした時代でした。
そして次に手に入れたのが X68000 でした。モトローラの傑作 CPU である MC68000、マウストラックボール標準装備、オートローディング・オートイジェクトのフロッピードライブ (5インチでしたが) など随所にマックの強い影響が感じられ、Finder にそっくりのモノクロ GUI「ビジュアルシェル」が同梱されていて、プアマンズ・マックの趣があったマシンでした。ようやくマックの話が出てきましたね。
当時の僕にとって、マックは「手の届かない憧れのマシン」でした。マックに触れる機会といえば、秋葉の九十九や T-ZONE に X68000 のゲームを買いに行った帰り、マックのフロアに寄ってマウスにコワゴワ触れてみる程度でした。(当時は神奈川に住んでいました) 「バグ・ニューズ」等の雑誌で紹介されているマックのゲームには魅力的なものが多く、カラーになった Macintosh II のデスクトップには少なからずショックを受けました。しかし、当時の Macintosh II は本体、モニタ、ハードディスク、プリンタ等を合わせると200万近い価格になり、さすがに衝動買いもできず、文字通り「指をくわえて眺めている」状態でした。それが今では iMac が10万以下で買えちゃうんですから、いい時代になったものです、いやほんま。
その後、慢性骨髄性白血病の治療のために骨髄移植を受けることになり、しばらく休職して入院することになりました。入院中はさすがにパソコンからもゲームからも遠ざかっていたのですが、ある日つらつらと月刊アスキーを読んでいて目に留まった記事が「各社一体型パソコンの比較」でした。 今でもハッキリ覚えています。
Macintosh LC575 (68LC040/33MHz, 8MB RAM, 320MB HD,13inch CRT)
がちょ~ん!
モトローラの 68040 と言えば、当時の数百万クラスの UNIX ワークステーションに採用されていた CPU でんがな!いつの間にか「憧れのマック」がこんな凄いスペックで定価40万を切っている!驚きました。これならなんとか手が届く。無事に退院できたならなんとしてでもこのマシンを手に入れてやろう、と固く心に誓いました。
その後幸いにして無事に退院でき、さっそく池袋の (今は無き) 某ショップで LC575 を購入しました。その頃にちょうど初代 PowerMac がリリースされていたんですが、それには目もくれず、一目惚れした LC575 を迷わず選択しました。(予算の問題もあったんですが…) メモリをフルに増設、とは言っても 36MB でしたが、当時の僕にとってはクラクラくるような広大なメモリ空間でした。(X68000 は最大 12MB、MZ-2500 は 256KB) もちろん「SimCity」「ポピュラス」「サムライメックII」もいっしょに購入。おいおい、やっぱりゲームかい…。
一目惚れに間違いはなく、当時の僕にとっても、そして今から考えても LC575 は素晴らしいマシンでした。美しい表示の13インチトリニトロンモニタ、CD-ROM、使いやすくタフな1ボタンマウス。そして当時の Mac OS である漢字Talk 7.2.1。(僕は System 6 を知らない世代です) 噂には聞いていたものの、Finder はほとんどの操作が制約なく直感的・見たままに行えることに感動しました。ああ、これぞオブジェクティブ。(マックしかお使いでない方には意味がよく分からないかもしれませんね…) フロッピーや CD-ROM を入れるとデスクトップにアイコンが現れ、アイコンを簡単に変更することができ、フォルダやファイルに自由に (拡張子や文字数に縛られることなく) 名前を付けることができる。どれもマックユーザーにとっては当たり前のことですが、当時はいたく感動したものでした。
とまどう点もいくつかありました。電源スイッチがキーボードに付いているのにはビックリ。マニュアルの薄さ・少なさ・シンプルさにも驚きましたが、LC575 にはビギナーの為にマックの使い方を案内するハイパーカード・スタックが付属しており、基本的な操作や知識はこれを通じて難なく身に付けることができました。誕生日やお正月の起動時に表示されるメッセージも、話には聞いていたものの実際に目にするとあらためて感激してしまいました。このような「マックらしい」部分がしだいに失われつつあることは少し残念に感じます。
もともとパソコン通信マニアだったこともあり、さっそく通信ソフトの ComNifty をインストールしてニフティーのマック系フォーラムをオートパイロットするようになりました。ここでまた驚いたのが、ComNifty やログブラウザの茄子R を始め、フリーウェア、シェアウエアの数の多さと良質さでした。漢字Talk や Finder がどんなに優れているとはいっても「こういうこともできればいいな~」と感じることがあるものですが、そういった「こういうこと」を実現してくれるソフトがザクザクあるんです。中でも感動したのは Speedy Finder 7 という Finder に数々の気の利いた機能を追加してくれるコントロールパネルでした。このソフトはその後アラジン社により製品化され、Aladdin Desktop Tools として市販されたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。この頃からいろんなソフトをダウンロードしては試用してみる、ということに興味を持ち始めました。
インターネットを始めたのもこの頃です。ここでまた度肝を抜かれたのが Info-Mac や AMUG といったフリーウェア・シェアウェアのライブラリでした。その膨大なソフトの数と日々追加される新作・アップデート、そしてこれらのライブラリが非営利の有志やユーザーグループにより運営されており、だれもが無償で利用できるということがまた驚きであり、マックが培ってきた「文化」を肌で感じました。ニフティーのマック系ライブラリを知り、ソフトおたく地獄にハマりつつあったところに、さらにダメ押しのカウンターパンチを食らった気持ちでした。Info-Mac と AMUG にはその日の新着ソフトを紹介するページがあり、それらを毎日チェックしてはダウンロードし、試用するようになりました。
そうした圧倒される出来事に慣れるにつれ (ハマるにつれ?)、マックのソフトやハード、アップデート、新機種などの新しい・深い情報を求めてインターネットの大海を泳ぎ回るようになりました。当時はまだ日本語サイトの絶対数が少なく、マックサイトでは岸田さんの Macintosh Tree (現 MacTree、今も MacTree のトップに書かれている「日本語による情報源」の一言って、当時はとても重みがあったんです) や香川大学の秋山先生の Macintosh News (現 Macintosh Trouble News)、IIJ の中で運営されていたアップル・ジャパン (当時はまだドメインを取得していませんでした) などが貴重な情報源でした。これらの小数ながらも良質なサイトを通じて Macintouch, Mac Surfer’s Headline News, Mac Central といった英語圏の良質なマックサイトを知り、より新しい情報を求めて (辞書を片手に) ネットサーフィンをするようになりました。
自分のサイトを作り始めたのもこの頃です。当時のインターネットマガジン (1995年10月号) に「COOL なホームページの作り方」という特集記事が載り、それを参考に当時はフリーウェアだったテキストエディタ Jedit で手書きでガリガリと HTML を書き始めました。しばらくすると LC575 のキーボードは「<」と「>」がすり減って見えなくなってしまいました。HTML のタグはこの二つの記号を多用するためです。ニフティーで飯嶋さん (現 PowerBook ARMY) が紹介していた PageSpinner に乗り換えるまで、Jedit には本当にお世話になりました。
この頃はいろいろとダイナミックな動きがあった時期でした。JavaScript (当時は LiveScript という名称でした) とアニメーション GIF をサポートした Newscape 2.0 のβ版が公開され、Netscape 社のサイトでテロップ表示される文字列や星の流れるロゴバッジを目にした時には衝撃を受けました。Shockwave Director が登場したのも確かこの頃で、IIJ のアップルサイトでびよ~んと尺取虫のように伸び縮みしていた Macintosh のロゴが印象に残っています。同様にアップル周辺も互換機の登場や CEO の交代、度重なるハード・ソフトのトラブルや OS のアップデートなど話題には事欠かない時期でした。この時期に続々とマック系ニュースサイトが登場したのは、マックユーザーがこれらの障害情報・アップデート情報・サポート情報を切実に必要としていたからかもしれません。
公開当初の僕のサイトはロック・骨髄バンク・骨髄移植の情報を中心としたシンプルなものでしたが、マック関係の情報が次第にメインとなりつつありました。当初は「What’s New」の中で細々と公開していたマックに関する新着情報が「Macintosh Latest Information」として独立したページになり、サイトの中でもっとも多くのアクセスを集めるページになりました。その後、なんと日本ユナイテッド・システムズ株式会社よりサーバとドメインを無償で提供戴くことができ、マックの新着情報、ソフトウェアライブラリ、みんなのデスクトップを紹介する「Desktop Hackers!」の各コーナーを独立させ、1998年3月より現在の「Mac News Network」として運営を始めることができました。公開当初、一日のサイト訪問者数が10人前後 (そのうち半分は僕自身…) だったことを思えば夢のようです。
マックユーザーはお互いが「マックユーザーだ」ということだけで連帯感を感じることができるのではないでしょうか。ニフティでもたくさんのマックユーザーと知り合うことができましたが、サイトを公開してからは、さらにたくさんの方からメールを戴けるようになり、いっそう交流が広がりました。中でも皆さんから送ってもらったデスクトップのスナップショットをコメントとともに公開する「Desktop Hackers!」のページを通じて数多くの人たちと知り合うことができました。ここに収録されている数百枚のデスクトップは何物にも替えがたい僕の宝物です。と言いつつ最近は更新をサボってしまっておりますが… 海より深く反省。
キーボードがすっかりすり減ってしまった LC575 は引退し、その後も PowerMac 8500、初代 iMac、G4Cube、PowerBook G4 とマックを使い続けています。引退したマックはみんな箱にしまって大切にとってあります。どのマックも僕にとっては単なる道具以上の「愛しいマック」であり、とても手放す気にはなれません。いつかはスペースを作って、いつでも動かせる状態にして並べておきたいなあ、と考えています。
最近は忙しさにかまけてサイトの更新も滞りがちですが、サイトを始めることができたのも、そして今まで続けてくることができたのも、全てマックを選んだおかげ、あの日アスキーで LC575 を目にしたおかげです。マックユーザーで本当によかった。LC575 と Jedit でタグを打っていたころを忘れずに、これからも細く長くサイトの運営を続けていきたいものです。
(直江 浩永)
Mac New Networkを主催されている、直江さんは孤高のロッカー、、マックというかコンピューターが好きな人です。特にゲームにつぎ込む情熱はすごい。そういえば、ほんと年齢不詳だぁなぁ。。。
(MacTreeProject)
直江 浩永
Jeff
Mac New Network のウェブマスター、マック党メーリングリスト副代表、大阪在住のマック&ロック&ゲーム&ネット馬鹿。年齢不詳、好男子過ぎるためか、いまだ独身。
Mac New Network
http://Mac-News.Net/
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