Vol.29 気がつくと、そこにMacがあった。 瓜生良治

Macintosh II ci
PowerBook G3(Pismo)

はじめて「マッキントッシュ」を見たのは、某コンピュータ会社のショウルームだっ
た。

僕が勤めていた会社(梅田の小さな広告会社。でも先日つぶれてしまった。)のクラ
イアントが、広告を出すかわりに今売り出し中のコンピュータを買ってくれと言い出
し、それがどうもデザイン方面を得意とするものらしいから、瓜生、お前が見に行け、
と、コピーライターの僕にお鉢が回ってきたのだ。なんともアバウトな会社だった。

大学時代、地元の小さなオーディオショップでアルバイトをしていた。その店には、
各オーディオメーカーの営業担当者が頻繁に出入りしており、ある時ソニーの営業が
一台のパソコンを持ってきた。これも当時売り出し中の「MSX」だった。

今で言うコマンドベースのその「コンピュータ」がなぜか気に入った僕は、本屋でプ
ログラムの入門書を買い、店に展示してある機械を無断で借用し、ローンの支払など
を自動で計算するプログラムを書いたりして店の社員を驚かせたこともある。それは
今までの人生の中ではじめての「コンピュータとの接点」だった。

その後、ファミコンが空前絶後のブームになったときに、弟が何を考えたか「ファミ
リーベーシック」を買ってきた。マニュアルを読むといろいろできそうなことが書か
れていたが、その頃の僕はすでに「コンピュータ嫌い」な人間になってしまっていた。
なぜそうなったかは、いまだにわからない。

だからはじめて「マッキントッシュ」を見たときも、僕は先入観を持っていた。「ど
うせコンピュータなんて、そんなもの使えませんよ」と会社に報告しようと、見る前
から決めていた。

そんな僕の信念を覆したのは、「電源を切るスイッチがない」という、たったそれだ
けのことだった。機械はスイッチを押して電源を入れ、スイッチを押して電源を切る
というそれまでの常識を見事に打ち破られた僕は、途端にその「マッキントッシュ」
に興味を持ってしまった。なぜそうなったのかは、これもいまだによくわかっていな
い。

気がつくと、会社には「Apple Macintosh IIci」と「LaserWriter」が設置されてい
た。そのベージュ色の箱の中には、PagemakerやIllustrator、Photoshop、Filemaker、
そしてExcelやMacwriteなどがインストールされていた。僕は夢中になってIIciを触
りはじめた。

某コンピュータ会社の人が言うには、「これさえあれば、企画書なんて簡単にできま
すよ」とのことだったので、僕はてっきり「企画書を作るソフト」があるんだと思っ
ていた。が、そんなソフトはどこを探しても見つからなかった。今から考えると、Illustrator
のことを「企画書のような図形の入った文書を作るソフト」として紹介していたのか
もしれない。

とにかくなにもわからなかったので、本屋で適当な入門書を買ってきてはその通りに
操作する。デスクトップのバックグラウンドの模様を変えただけで、なんだか自分の
思い通りに動いたような気がして喜んでいた。

いつも仕事をお願いしているデザイン会社がMac(その頃は「Mac」と呼ぶようになっ
ていた)を入れたと連絡してきたので、とりあえず見に行った。そこには当時出たば
かりの「漢字Talk 7」が動いていた。そのデスクトップに並ぶアイコンはとてもきれ
いで、先輩気取りだった僕はショックを受けおろおろしてしまった。

個人ではじめて買ったのは、Performaシリーズが出る直前のLC630だった。その頃父
親が本業とは別に内職をしており、その売上や作業内容も管理できるよと持ちかけて
半額援助してもらった。が、親元を離れてワンルームに一人暮らしをしていた僕は、
その約束をいとも簡単に反故にしてしまった。

LC630を買う一ヶ月前に阪神淡路大震災があった。新聞がそろそろインターネットと
いう言葉を使い始めていた。僕はわけもわからず手にした入門書を片手に試行錯誤し
て、モデムやMosaicやEudoraの設定に半分キレかけながらも、なんとかインターネッ
トにつなげることができた。ちょっと偉くなった気がした。

やがて僕は、「FirstClass」にハマってしまった。どこでそんなソフトを手に入れた
のか今でも記憶がはっきりしないが、気がつくと毎日FirstClassの会議室に入り浸っ
ていた。そこで教えてもらったのが「MUGNET」だった。

はじめてこわごわMUGNETに参加した帰り道、僕は珍しいくらい上気していたのを覚え
ている。それまで会社で孤軍奮闘していたMacのことを、おおっぴらに、そして好き
なだけ話すことができる「仲間」を見つけることができたという興奮は、僕にとって
大きなパラダイムシフトだったのかもしれない。気がつくと僕は、二代目の宴会部長
になっていた。

そんな毎日を送っていたある夏、Macユーザーを集めた大バーベキュー大会が淀川で
開催された。僕はその準備役を買って出ており、50人を超える参加者に盛り上がって
もらうために他の仲間とメールで話し合ったりした。気がつくとその中の一人の女性
と、僕は結婚していた。

そしてある日。なぜか僕の手の中には「Palm Pilot」が握りしめられていた。MUGNET
の仲間にその存在を教えてもらい、あまり深く考えずに購入したらしい。Pilotに夢
中になった僕は、ある日気がつくと、Pilotのユーザーグループを作っていた。それ
は日本ではじめての、Palm/PilotのUGだった。

今、僕はこの文章をPowerBook G3(Pismo)で書いている。三年連続で開催された「iWeek」
のスタッフミーティングにはじめて出席したとき、開始とともにメンバーの半分以上
がPowerBookをがばがばとひ開くのを見てインスパイアされてしまった僕は、毎月2万
円のリボルビング払いと引き替えにそのステータスを手に入れた。支払はあと数ヶ月
残っているけれど、悔いはない。どころか、その後に登場した新型のiBookやPowerBook
G4以上の魅力をいまだに感じ続けている。

考えてみると、僕の人生はMacに舵を預けっぱなしだったようにも思える。本人は深
く考えずにふらふら漂うだけで、ほとんどのターニングポイントはMacが決めてくれ
たようなものだ。Macにはきっと、僕の運命を決める神様が宿っているのかもしれな
い。

神様、次は僕に素敵な職場を与えてくださいね...。

(瓜生良治)

 

瓜生さんといえば、シャイで控えめだけど、なかなかの行動家。彼がいないと日本にPalmのUGはなかったかもしれないし(おおげさな、、、)、なぜかそこから始まったiweekもなかったかも、、 少なくとも、、Mugnetの宴会はまともに進まないかもしれない。おっとたまにはミスもしますが。。そういうときは夜の町を、、、当てもなく、、、

(MacTreeProject)

瓜生良治
ryoji uriu

MUGNET宴会部長。
PUGO発起人。
全国PalmUG連絡会 暫定取りまとめ役。
現在失業中。
なのをいいことに、毎日ぶらぶら遊び呆けている。
本人は「命の洗濯、エネルギーの充填」と開き直っているが、実はなにも考えていな かったりする。

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