Vol.17 うぐぐ、、傷が開くぅ~。 鈴木 順

PowerBook520C
Newer tec NUpowr167 PowerPC603ev/167Mhz
RAM 32MB
HDD 2GB

今から数年前、木枯らしが吹き始めた巷では「ウインドウズ95」がようやく発売さ
れるとかで、PCユーザー達が「きゅーじゅーごぉ~、きゅうじゅうごぉ~、」と浮
かれ騒ぎ、我が愛するMac陣営がウィンドウズ帝国軍と闘っていた、あの1995
年の年の暮れ。私の妻は赤坂にほど近いTの門病院のベッドの上で手術後の傷の痛み
と闘っていた。
ある日、会社帰りに見舞いに立ち寄った私は、妻のベッドの上にぽん
とPowerBook520Cを置いた。

「なに?これ?」
「買っちゃった。」
「いつ?」
「今日。」
「えっ、うっそー!うぐぐ、、傷が開くぅ~。」

実は我が家ではその年の春に念願の初Mac「Performa575」を買ったばかりで
まだ8ヶ月しかたっていない。そりゃ傷も痛むかもしれない。
彼女の入院前、2台目のMacが欲しいという話をしたが、、、、

「会社でもMacを使いたいんだけど、、、。」
「……ふーん」
「やっぱり、ノート型があれば、便利だよ、会社と家の間を持ち運びできるし。」
「軽いの?」
「ん?まぁ、、、」、
「だって、Mac買ったばっかりじゃない。」
「でも、、、、」
「・・・・」

妻に無視された私は、彼女が動けないのをいい事に、彼女の入院中に
「2台目マック購入」を強行してしまったのである。
(しかし、妻がこのあと私以上の「熱烈マックファン」になるとは、当時夢にも思っ
ていなかった。)

—で、病室のつづき

「安くなっていたから、、、むふふふ、、。」
「それ、中古なの?」
「安いたって新品だよ、新品!!、、型番落ちだけど、、、
もう新しいPowerBookが出ているからね。」
「ふーん、でも白黒なんでしょ。」
「違うよ、名前に”C”ってついてるでしょ。カラーなの、カラー!」
「だけどさぁ、、、。痛たたた、、」

痛みに負けて妻はそれ以上何も言えず、結局、私の「買ったもん勝ち」
ということになった。そしてそれ以来、このPowerBook520Cはなぜか「病院」に縁が
深くなるのである。

その後しばらくは公約通り主に会社で使い、週末になると家に持って帰っていた。
ふだんはバッグひとつ持って歩くのも嫌なのに、この時ばかりは自宅と赤坂をるんる
んと1時間の電車通勤。ただ単に「歩く」という事でさえ嫌いな僕も、マックと一緒
ならどこへでも、、。

ところが、アクシデントは唐突にやってきた。
ここからは妻の回想で、、、

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そんな夫が突然、自宅で倒れました。96年4月末の日曜の朝のことです。
救急車で近くの病院にかつぎ込まれ、「出血性十二指腸潰瘍」との診断。
急遽1.6リットルの輸血を受けました。「出血性ショック」で、危うく死にかけて
いたそうです。
今思うと完全に「ストレス性潰瘍」です。昔から『ストレスには人一倍強いのさ、、
、』と豪語していた夫でしたが、身体は正直でした。
—ストレスの溜まっている方々、、くれぐれもお気を付け下さいませ。

さて、一命をとりとめた夫は一週間後、一般病室に移る事が出来たのですが、
その翌日、彼は胸につけられた24時間点滴のチューブをくるくると指でもてあそび
ながら私に言いました。

『ねぇ、520Cを会社から持って来てくれない?
ごはんも食べられないから、つまらなくて死にそうなんだ。』

潰瘍でなんとか命拾いしたのにMacがなくて死なれてはかないません。
家族はマックをかかえて路頭に迷う事でしょう。なぜなら、マックのメンテナンスは
夫の役目で(アップル技術検定(B)保持)、私と娘はほとんどマックを使うだけで
すから、、。

<マックが心配なのか、、夫の身体が心配なのか、、>

次の日、入院の経過報告、ご挨拶がてら会社まで「520C」を取りに行きました。

こうして、夫は退院までの2週間、食事も出来ない寂しい毎日を520C君のおかげ
で楽しく?送る事ができました。病院の玄関脇にグレ電があったものの、当時はまだ
通信環境が不十分で、メールが出来なかったことが心残りだったようですが、、、。
—3年後、
99年、暑い盛りの8月初旬。また身体の様子がおかしいというので、前回のことも
あり早めに社内の診療所で診察を受けたら『即入院せよ』と言われ、そのまま都内の
病院へ。するとその晩、やはり十二指腸から出血し緊急止血手術、輸血を800cc。
いやはや全く今回も危ないところでした。
しかし夫は症状が落ち着くとさっそく病院内でグレ電を見つけ、またもや、

『520Cを持って来てちょうだい。今度はメールチェックが出来る。(わくわく)』

これがほんとに病人か?と思うほどの明るい声で言ったのです。
3年前、病院から通信が出来なかったのがよほど口惜しかったと見えてその素早い事っ
たら、、。

翌日、真夏のぎらぎら太陽の下、
「520C+電源+外付けCD-R+何枚かのCD-ROM、そして数冊のマック本」を抱えて
病院へ。、、私の方が倒れそうでした。

というのも、その夏、胃腸障害から脱水症状を起こしていた私は、夫が入院した日に
同じ病院の外来で点滴を受け、その後も大好きなクルマの運転も出来ないほどの状態
で通っていたのです。病室にたどり着いても、夫が520Cで遊んでいる横でへろへ
ろと彼のベッドで寝ているという事もありました。まったくどっちが病人なんだか、、
、。

元気な入院患者はマックのおかげで快方に向かい、退院するまで片手に520Cを抱
え片手で背よりも高い点滴スタンドをゴロゴロと押しながら、
『これはリハビリ。動かないと「筋肉がなまっちゃう」からね。』とか言いながら
病室のある階から1階のフロアの公衆電話へと毎日通っていました。

<「脂肪がたまっちゃう」の間違いではないのかしら?>

こうして520Cを使ってお見舞いのメールなどを読む事が出来、
また、マックファン誌総編集長の滝口さんやあの立野康一さん、読賣テレビ
の結城さん達といった「Macなお友達」もお見舞いに来てくださるなど、
たくさんのみなさんに励まされて、2週間あまりで無事退院する事が
できました。Macって、病人の慰めになり、勇気づけ、回復を早めてくれる応援団
のようなパソコンなんだなぁとつくづく思いました。

(後で聞いた話では、担当の看護婦さんに、7月のニューヨークエキスポで発表され
たばかりのiBookをさかんに勧めていたそうです。)

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こうして妻と私、あわせて3度の入院に仲良く付き合ってくれた「PowerBook520C」。
はじめからそういう運命の下に生まれていたのかもしれない。
と思っていたら、昨年からバッテリーの不調を訴え、今度は自分のほうが病院に
入ってしまった。つい先頃ようやく戻ってきたが、これからも我が家のマックの一員
として頑張ってもらいたいと思う。

ところで、一昨年のiBook購入以来そろそろ1年半。今年に入って1月、2月とマッ
クの新製品が続いて、物欲が抑えられない今日この頃。

『チタン君、かっこいい!』(1月、サンフランシスコに行って来ました)
『PowerMacG4、やっぱ、欲しいよねぇ、、』(スーパーディスク!)
『フラワーパワー、ステキねぇ~』(2月、幕張に毎日通いました)
『ミニiBook、、出ないかなぁ、、』 (夢を叶えて、、アップルさん)

と毎日騒いでいるのは、今や私よりもマックを愛している妻の方なのである。

(TBSアナウンサー
鈴木 順)

 

鈴木アナといえば、もちろん、アナウンサーとしていつもはテレビの向こう側にいる方なんですが、なぜか、マックな集まりではよくお会いします。あの大きな体で、NEWSを読む時のまじめな顔を信じられないぐらいのにこにこ顔で、、、またエッセィの中にもでてきますが、いつも一緒の奥様、そしてお嬢さん、特に、奥様とお嬢さんの漫才のような掛け合いは一見の価値ありです。また、どこかのマックな会でお会いしましょう。(iweekには大阪に来るって言っていたんでたぶんそのときでしょう。)

(MacTreeProject)

TBSアナウンサー
鈴木 順
Jun Suzuki

TBSアナウンサー、東京生まれ、立教大学卒。 1976年TBS入社。報道局でニュースを読み、ラジオの朝ワイド、午後ワイドで パーソナリティを努め‘90年のTBS宇宙特番「日本人初!宇宙へ」で、ソユー ズ打上げ実況中継を担当しJNNアノンシスト賞グランプリ受賞。現在、火曜深 夜「世界かれいどすこうぷ」キャスター、夕方6時の「ニュースの森」ナレー ション担当。休日は(妻と娘と)家族でMacの啓蒙活動にいそしみ、晩酌の代 りに毎晩、Macでフライトシミュレータをするのが楽しみで、7台のMacに囲ま れて暮らしている“とってもMacなアナウンサー”である。

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