Vol.9 マック好きから始まった 水野 植光

Macintosh Performa 5440CPU:Power PC 603e (180MHz)
メモリ:16MB/最大136MB(DIMM)
ハードディスク:1.6GB(IDE方式)
CD-ROMドライブ:8倍速(トレイ式)
ディスプレー:15インチマルチスキャン
テレビ/FMラジオチューナ
ビデオ入力

僕が最初に出会ったマックはパフォーマ5440。
ブラックボディーの一体型。
店で一目見て気に入りました。
というのは真っ赤なウソ。。ははは。
実はこのマックは私が買ったのではなく、兄が買ってくれたものだったんです。

当時兄の仕事先ではマックを導入していて、兄も初心者だった事もあり、弟に使わせればきっと上達して教えてくれるのではと思ったんでしょうね。
だから僕が初めて出会うパソコンはマックしか選択の余地は無かったんです。
というか、その当時はマックかウインとかパソコンがなんであるかも知らなかったですけど。
なんせマウスもキーボートも触った事なかったんですから。
でも余計な先入観を持たずにマックを触る事ができたのでは、僕にとってラッキーだったのかもしれませんね。

当時パフォーマ5440は、パフォーマシリーズの最終版でPawer PC603eを搭載したマシンでした。

元来から凝り性の僕は、生まれて初めてさわるマックにもの凄い興奮を覚えたました。
「こんな世界があったんや~~」と何をするにも初めての連続で、「こんなおもろい物はない」と買ってからはほとんど中毒のように触っておりました。
友人達からは「行方不明説」「失踪説」まで出る騒ぎでした。
ほととんど引きこもり状態でしたね。
ほんとに単純に没頭する事ができたんです。

「ですくとっぷ」とか「ふぁいんだー」、「あぷりけーしょん」とか生まれて初めて聞く言葉は僕にとっては宇宙語のようでした。
周りにあまり聞く人もいなかったので、よくサポートセンターのお姉ちゃんの所に電話かけまくっておりました。
でもこれがなかなか繋がらないんです。
朝九時から始まるのでそれに合わせてかけまくったもんです。

初めて自分で起動した時の事を今でも覚えております。
起動するとパファーマのお姉ちゃんが画面に出てきて「ようこそパフォーマへ」なんて笑顔で僕をマックの世界に案内してくれました。
それを見て「おおおお~~~ なんじゃいこれは~~」と驚きを隠さずにはいられませんでした。

で、ファインダーとか(当時は何がなんだか分からない)フォルダとか色々いじくってると突然のフリーズ。
買って初日にフリーズ。。。
どうしていいのか分からない。。
しかもそれは夜の九時。。
サポートセンターも終わっている。。
どうしていいのか分からない。
トラブル本を読みあさるとそこには強制再起動の仕方が書いてあり、「これや~」とさっそく試してみるが、キー入力を受け付けない。
「壊れた。。買って初日に壊れた。兄に何て言おう。。」
半泣き状態。。
とにかくサポートセンターや!
明日電話しようと思ったが、しかもその次の日は朝から友人とサーフィンに行く約束をしていたもんやったからサポートセンターにも電話できない。

5440はフリーズするとキー入力も受け付けないという事がよくあったんです。
そんな時、後ろの電源をブチブチっと切ってました。
でも買って初日の初心者の僕にそんな恐ろしい事できるはずもありません。
電源を切るなんて事も付属のマニュアルにも書いてない。
ラジカセやテレビを買っても付属説明書は一杯書いてあるのに何でパソコンのマニュアルはあんなに薄いんや~~とぼやいたもんです。

どうしようもないので画面が固まったまま一晩を過ごし、翌朝九時に出先からの公衆電話からサポートセンターに半泣きになりながら電話をかけて「だずげて下さい~~」と泣きを入れた事を覚えてます。

他にも色々ありましたね~。
ある日スクラップブックに入っている画像を消去してしまったんです。
その画像はもう戻らないと思い、復活させる為だけに、再インストールした事もあります。
何を考えていたのか分かりません。。(後に初期設定を捨てれば復活すると知りました)

当時パフォーマには、アプリケーションとシステムのCD-ROMは、全部一緒のCD-ROMになっていて、1つのアプリケーションをインストールする為には、全て1からインストールする必要があったのです。
これは結構面倒臭かった。
初めて再インストールする時は、怖くて寝られませんでした。
(こういう時は何故か夜中になってしまうんです。)

様々な失敗やシステム再インストールなどを経験して、システムフォルダの事が分かってくると、マックを触るのにも怖くなくなっていきました。

当時マックに詳しい方には「システムフォルダは触るな。
初心者には触る必要がないもんや」と言われていましたが、そう言われれば言われるほど触りたくなるもんです。
でも結果的にこれが良かったと思います。
中身の仕組みを知っていれば怖い物なしです。
でもホント色々やりましたよ。
とどまる事を知らずにマックにのめり込んでいきました。

実は「キムチのミズノ」もそんな僕のマック好きから始まった店なんです。
母は昔からお店をやりたかったんですが、なかなかきっかけがなかったです。
僕は単純に「マックを使ってインターネットで仕事ができたら最高」なんて思っていたもんですから、あまり深く考えずに「インターネットでお店を出そう」と計画したんです。
マックの操作はある程度慣れてはきたものの、ホームページを作るなんて事果たしてできるのであろうか?と思ってましたけど案の定やっぱりかなり苦労しましたね。
でも凝り性の僕はありとあらゆる本やホームページを見まくって「キムチのミズノ」のホームページを1997年10月に完成いたしました。
マックと出会って7ヶ月目の事です。
こんなにも短期間で素人がホームページを作って商売できるなんて、マックの分かり易い操作性、親しみやすいユーザーインターフェースのおかげですね。
まあ好きだからこそ出来たんだと思いますけど。

次のマックを手に入れるまでの間、約1年位は5440でやっていました。ホームページ作りも最初の頃は、デジカメも持っていなくビデオカメラで撮影した。
キムチの画像を5440に取り込んでました。
今からか考えるかなり無茶な作り方してたもんです。
5440には、ビデオ入力端子がついていたのでこんな荒技ができたんですね。
その他ラジオやテレビもついていてこれ一台でなんでもできる凄いマシンでした。

受注のメールも5440に付いていたクラリスメールでやってました。
でもこのクラリスメールが、とんでもない奴で1メールにつき1書類となるため、1行のメールを書いても64kになってしまうとすごい欠点があったんです。
でも当時の僕はそんな事を知るよしもなく、どんどん溜まっていくメールがハードディスクを占領して大変でした。
今はどこにいったんや~ クラリスメール。。。

ホームページもおかげ様でマックユーザーを中心にどんどん広がりを見せていき、注文も増えてくると、仕事を能率良くするする為に色々なソフトの使い方を覚えなければならない必要性に迫られ、そのおかげ(?)でどんどんマックにハマッていき、マックの世界の奥の深さを感じました。
基本的に好きやからどんどん吸収していきましたね。
今はファイルメーカを使い倒しております。

とにかくこのマックは僕にとっていろいろ教えてくれたマシンでしたね。その後パワーマック8500、パワーブック3400、2400と僕のマックの環境は変わっていき、5400は兄の子供の元へと行ったのですが、新しいマシンに買い換えるというのでまた僕の所へ戻ってきました。
今は押し入れに眠っていますが、5440のブラックのキーボードとマウスは、2400の外付けのキーボードとして今もバリバリ使っています。(黒い純正のキーボードとマウスはないしね。)
本当に僕はマックのおかげで人生が変わりました。
今でも「キムチのミズノ」は全て僕はマックでやってますよ。

一度「キムチのミズノ」を見て下さいね~~ まけまっせ~~ 宣伝 宣伝(笑)

(水野 植光)

 

岸田が水野さんと知り合ったのは、高橋@TKTRさんのページでの紹介だった思う。そのころ、彼はちょうどミズノを始めた頃でどん欲にマックの情報と知識を集めていた頃でしょう。その後、彼の印象で一番、大きいものは、結婚式の二次会に行ったときの彼の行動でしょう。そのとき彼は、なんとカーボーイハットにタンクトップ、果てには、上半身裸、、とても二次会の行動とは思えないでしょう。もう一つは、iWeekの宴会のジャンケン大会の時、彼はその用意した、プレゼントを独り占めしていった・・・ことかな。

(MacTreeProject)

水野 植光
Uemitsu Mizuno


1968年生まれ。現在は、【キムチのミズノ】の代表。波があると仕事が手に付かなくなるほどのサーファー。Kimchiya.com (キムチ屋ドットコム)

i-mode版「キムチのミズノ」

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