Vol.2 きっかけはMacコレクション 山田 昇

Performa575CPU:68LC040 (33MHz)
二次キャッシュメモリ:なし
メモリ(メモリタイプ):8MB/最大36MB(SIMM)
内蔵ハードディスク:160MB(SCSI方式)
CD-ROMドライブ:キャディ式
モニタ:14インチマルチスキャン
AppleIIキーボード

 当時勤めていた会社が、1996年8月頃にインターネットカフェ部門を初め、そこに配属されたことがキッカケで、ホームページを製作する側になりました。それまでは、DJ相手に12インチレコードを売ることを専門としており、10年間もの間、プロのレコードセレクターをしていました。

Macintoshは会社のデザイン部門が1995年頃に導入したPowerMac6100/60Centris650をポップなどの作成に使用するぐらいの程度で、それ以外は、もっぱら68系Macintoshと呼ばれる古いMacintoshを集めることを趣味としていて、本業の一部として使ったことはありませんでした。そのため、自宅にあった最上級のMacintoshといえば、Performa575に、DayStarPowerCard601を増設したMacintoshが、最高のパフォーマンスマシンだったのです。

インターネットカフェ部門に移動してから、私がメイン機種として使用していたのは、PowerMac7600/120で、これにメモリーを128MB搭載し、グラフィックカードとしてIMStwinTurbo128Mを増設し、作業モニターとしてAppleMulutiscan20Monitorを使用していました。当時としては、かなり快適な作業環境だったと思います。この快適な環境で、ホームページ製作作業を学習する目的として、自身のMacコレクションページを作ったのが、インターネットウェブデビューをするキッカケでした。

しかも、当時まだ高価な専用線という恵まれた通信環境で、社内に設置されたWWWサーバーに占有ディレクトリーを作り、イントラネットによる更新作業を行なっていました。それが順調に進んでいた頃、MACお宝鑑定団として、アップルが各地方を回って行なう展示会「welcometoMacintosh」の名古屋開催に出展することが決まり、それを告知する目的でニュースページを設置しました。これが、現在まで続くニュースページのキッカケとなったのです。

会社にいる間中、サブとして使用していたPowerMac7500/100をFTP専用として使用したりして、四六時中インターネットサーフィンをしていた私は、ある時期からニュースページの更新を30分置きに行なうようになっていました。当時はメジャープレスページであったとしても、1日1回の更新が普通だったので、この怒濤の更新というのが、かなり読者に受け入れられたようで、ニュースページを開始して1ヶ月程度で、1500毎カウントが出るようになりました。

そして、その勢いに押され、1997年2月に開催されたMacworldEXPOTokyo97に中部地区として初の出展をしてしまったのです。そして、フルにウェブからの情報発信を行なったことがキッカケで、読者数がぐんぐん上昇して行きました。

しかし、ある時私は実家の家業である飲食店を継ぐ決心をし、ほどなく会社を退職してしまいます。この時点でウェブの更新作業ペースを落とし、ゆったりとした生活をおくることを考えていました。その理由として、Macintoshの作業環境が、いきなりPerforma575+DayStarPowerCard601となること、インターネットの通信環境が、128k専用線環境から、33.6bpsという普通のダイアルアップ環境になること、電話料金の請求額が膨大な金額になることなどが懸念され、多くのリスクを背負う事にとても抵抗感を感じたのが主な理由でした。

しかし、そのようにマシン環境が変わったことを、ウェブ上で明かさずにいました。それは、毎日多くの読者がやってきてくれている事を、嬉しく思っていたからです。そして徐々に、読者の知りたいという欲求になんとか答えようとする気持ちが大きくなっていた頃、ちょうどNTTがテレホーダイというサービスを開始しました。これでとりあえず通信費をそれほど気にすることなく更新する事が可能になると感じた私は、生活時間の逆転というリスクを背負っても継続する決心をしたのです。

以前の作業環境から大幅に後退した環境で、以前のようなボリュームを保つことはとても大変な事でした。最大で36MBしかメモリーを搭載することが出来ないPerforma575上では、メールとブラウザーを同時に開くことすら、ままならなかったのです。また、遅い通信環境のため、何等かのアップデータをダウンロードする間は、ブラウジング作業を同時に行なうことが出来ず、そういった場合は、事前にサイト情報をソースとして保存しておき、ダウンロード中にソースを元に情報を抽出するという気が遠くなるような作業を毎日々続けていました。

そんな過酷な状況でも、長いテレホーダイ時間を寝ないでがんばれば、何とかこなすことが出来ました。結局そんな環境が5ヶ月にも及び、Performa6420を導入するまで、誰にも気付かれることなくPerforma575は、MACお宝鑑定団を支えてくれていたのです。そしてその頃、100万アクセスを達成することが出来ました。

今年の11月でMACお宝鑑定団のニュースページは4年目を迎えます。この間、多くのニュースサイトが登場し、そして消えてゆきました。しかし、MACお宝鑑定団は、今日も何かを求めてインターネット上をさまよい続けています。それが、どんな過酷な環境であったとしても、やれば出来るということをPerforma575は私に教えてくれたからだと思います。

(山田 昇)

 

お宝鑑定団の山田氏と初めてあったのは3年前のMacFan EXPO’97 in KANSAIだったと記憶しています。このとき、彼はwww.oneshare.comで購入したAPPLEの1株株券を見せて、アップルは俺の会社だという冗談を言ってくれたのを覚えています。このMacFan EXPO’97 in KANSAIというのはMacFanと読売TVが組んでやった関西で初めて大規模なMAC EXPOになります、この流れが現在毎年、GWに行われている<ahref=”http: iweek.vow.ne.jp=”” “=””>ユーザーのためのユーザーによるイベントiWeekにつながっています。ちなみにMACTREEが始まった頃はMacintosh II ciという機種だったんですよ。

(MacTreeProject)

山田 昇 DANBO


DANBO(山田 昇) 33歳 愛知県名古屋市在住(名古屋市出身) 本業は、実家である焼肉屋と喫茶店の店長 現在の愛機はtwentiethanniversaryMacintoshhttp://www.tcp-net.ad.jp/danbo/

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